偽装
就活を進めれば進めるほど矛盾とそれについての憤りを感じ、またそれが増してゆく。
普通の人は「そんなもんだよー」といい、それについてとやかく言わない。それが今後、社会人として生きてく上で賢いからだ。
とにかく自分は就活というシステムに適合できず悶々とする日が続く。
ラジオやテレビ、SNSのTLでたまに出てくる就活に関する記事も、敏感になっている五感が反応する。
先日、某大手企業の役員が就活に関して話しているのを見かけた。
インタビュアーが「面接では就活生のどんなところを見ますか?」とありきたりな質問を問うていた。すると自信満々に「やはり元気かどうかですよね!」と答えた。この手の答えも別に初めて見聞きしたものではないが、改めて愕然としてしまう。
詳しくは知らないが就活生は来たる面接に向け、色んなことを準備するはずだ。
「これを聞かれたらこう答えよう」とか「ここを突っ込まれたらこういう風に話を持って行きたいな」とか「この会社はこうだから、話の中でここを際立たせた方がいいのか」とか。
そこまでして臨んでいて、そんで就活生側が聞かれて欲しいこと、掘り下げて欲しいところをみすみす外しまくるくせに、最終的には元気だ?
正直に言って、馬鹿なんじゃないかと思ってしまう。
元気なことは確かに一緒に働く上で大切になってくるポイントではあるかもしれない。
が、まず言わせてもらいたいのは、
面接官のお前がそれほど元気じゃねぇじゃんか。
というところだ。
あんたがまあまあの感じなくせに、こちらはバカ明るく振る舞えというのは普通に言って異様すぎるだろう。
というか初対面の人に対してに明るく元気にペラペラと饒舌な奴が信用に値するかどうかも微妙な気がする。(そういう人種が蔓延りまくるから大して知りもしない人が大人数出席する飲み会とかも嫌いなのだが)
「就活って結局相性だからな〜」と知った口で言う奴らもいる。
落ちた者、落とした者、どちらが最初に言い始めたかは定かではないが、それは最悪の言い訳だ。
本当にその企業に行きたくて時間を割いたのちに相性という不確かなもので片付けるなど本人への冒涜に思えて仕方ない。
随分前に落とされたラジオ局を思い出した。
一緒に面接を受けた子が凄かった。ハキハキと明瞭に質問に答えていた。となりで圧倒されていた。「あぁこういう子が選ばれるんだろうなぁ」と思った。けれど僕は一部分だけひっかかった。
「学生時代ハンドボール部でキーパーをやっていたので、チームワークがあるし視野も広い」と言っていた。
キーパーをやっていても全然フィールドプレーヤーの心情を察せられないやつなんて山程いるし、キーパーをやってたから視野が広い?謎理論だ。
けれど面接官も満足気に頷いていた。
結局のところ、なにも成し遂げられていない自分がこれを書いたところでそれはもう嫉妬以外のなにものでもないことは百も、千も、万も承知だが、多少の脚色や全くの大嘘をあーでもないこーでもないと自分に納得させ、もしくは納得しないまでもうまく取り繕い、理路整然とそれっぽい論理を展開できる様子に気持ち悪さを感じるし、それが社会だと、大人になるということだとするならば、その舞台からは降ろさせて欲しいと願うばかりだ。
その願いがなかなか叶わないのだが。
*1:この文章は昨年に書いたもので「鬱屈としてるなぁ」と思う反面、今もなんとなくこの気持ちはあるので載せることにしました