兎
さっき、久しぶりにランニングをしてきた。
自宅の近くに大きな公園があり、そこには舗装されたランニングコースがあって、僕は日が暮れた後の暗いそのランニングコースを走ることがそこそこ好きだ。日が暮れた後が。
その暗いランニングコースには、人があまりいない。夜になってまで走ろうなんて人がそんなにいないようだ。
僕は、逆にそんな環境が好きだ。自分以外に、人がいない時間が。
自分の中だけに集中できる時間が好きで、さらに運動して疲れてくると尚更、あれこれ考えを巡らす余裕が無くなってきて、より自分の中に集中できる。だから正直ランニングなんて大嫌いだけど、意外とやめられずにいる。
さっきも5周くらいしようと思って、走ってきた。
けれど、実際2周くらいでやめてしまった。
意気揚々と走りだした1周目、途中で他のランナーに追い抜かれたので負けじとペースを上げると、気づいた頃にはもうあと何周もできる体力はなく、敗北感とともに家路に着いた。
他人に惑わされることなく、着実に自分と向き合いながら、コツコツと邁進していく。
そんな人が偉大だということは、いついかなる時も教えられてきたし、そんな偉大な人は友人の中にもいるし、僕だってそんな人になれることを夢見ていたけれど。
でも、気づいたら面白いほどに正反対の人になっていた。
すぐに他人に惑わされるし、理想ばかりを浮かべ、ありのままの自分を直視できないし、8月31日が現れたら、8月31日の過ごし方をし続けてきた。
社会に足を踏み入れて2ヶ月が経つ。
名刺の渡し方、電話の受け方、メールの仕方、経費精算の仕方、お偉いさんとの接し方、色々わからないことだらけだけど、少なくともこの世界は先ほど掲げたような人には不向きだということだけはなんとなくわかってきている。
ここでは、確固たる自分を持ち、自己分析に余念がなく、地道な努力ができる人がど真ん中を歩くことが許される。そうじゃない人は、理想に思いを馳せてばかりで、気がつけば置いていかれ、焦って追いつこうとするけれど力及ばず、あとは何も成し遂げることなく去るだけだ。
僕が昨年、社会から受けていた評価を僕は信じていなかったけれど、
こんなにも早く答えが出るとなると。
「確固たる自分」「自分を受け入れられる自分」「地道に邁進できる自分」その全てを手に入れられないかな。