2023-11-27
にしても、うまく行かなすぎる人生だなと思う。
今回は、ただただいま思い浮かぶことを、
特に頭の中でいじることもなく、一歩通行で書き連ねたいと思い、
キーボードを叩いている。
とにかく真っ黒な会社にいたもので、
いつしか心理的な余裕がなくなり、
自分のペースを掴めなくなったので、
潰れてしまう前にとにかく退職した。
退職して3ヶ月が経ち、
いまはすでに仕事がしたいな、
と毎日、毎秒思っている。
その理由には、
やはり財政的な理由があり、
それと、もう一つには自己効力感というか、
貢献してるなぁという感じがなくて、
自分の思う、自分の存在感を示せていないことが、
苦痛に感じる。
転職活動も本腰を入れてもう2ヶ月弱くらいか。
それなりに自分の中の興味が反応するものを見つけて、
応募しては、書類かもしくは、一次面接くらいで落ちる、
みたいな日々をずーっと繰り返して、辟易としている。
社会人として振る舞っていた2年半は、
やめたくなる隙もないほど働き、
時間も費やしたし、心もすり減らした。
2年半だけど、多分マジで深夜(というか早朝のときも)まで働いたし、
休日返上もあったしで、
マジで5年分くらいは働いたと思う。
だから、そのぶん経験したことも少なからず多いかなと、
自負はしてる。
なので、
次の場所ではそれなりのバリューは提供できるだろうなあ、
と思って、正直すぐどっかに就職できるかなぁと思っているなかで、
現在無職(というかニート)。
あーあ、なんだよー。
自分が提供できる価値は絶対あるはず(そう信じてる)だけど、
でもそれを誰からも求められなくて、
なんのために今日を生きるのかわからないな、
と思いながら目を覚ます日々が始まっております。
2年半ぶり2度目ですな。
就活に辟易としていた大学3年生ぶりだ。久しぶり。
ほんと、親が敷いてくれたレールを走るのを終えた高校卒業後から、
ぜんっぜんうまくいかないなぁ〜。
ぜんぜんうまくいかない。
こーれもう、どうすんの?この人生?って感じ。
ゲームとかでよくある、
「リタイヤ」の選択肢があったら、もうとっくに選んでるよなー。
あんまり誰からも読まれないこれだからゲスいことも書くけどさ、
絶対、日々生活する中で見るアイツより何倍も仕事できるはずなんだけどなぁ。
他責にして矢印が外に向いてるときは大概ダメな時だけれど、
そういうことすら思えてくる。
というか、
日々思うこの感情はもう論破しようと思えば、
すぐできちゃう。
だって、そんなにひとの役に立ちたきゃバイトすりゃいいじゃん。
ボランティアでもすりゃいいじゃん。
お金稼ぎたきゃ、どこでも片っ端から応募して、
わけわからんとこの社員になって働けばいいじゃん。
なんか勉強して、新しいスキル磨けばいいじゃん。
そうだよ、そうなんだよな。
なんでそうしないの?
、、、なんでだろ。
結局は身も蓋もないことを嘆いてるだけに過ぎないことを、
思い知らされる。
でも、やる気おきないんだよ。
やる気というか、納得できないんだよ。
大抵のことはなんでもできる時代だけど、
でも、そんな時代に生きている俺は、
なんでもできるわけじゃない。
「できる」を因数分解したら、
「技能的にできる」と「やろうと思える」の掛け合わせだと思う。
いまさらだけど。
で、後者の要素が、
前者の要素を補完したり、増強したりすることもある。
そんで、後者がほんとに難しい。
「やろうと思える」ゲージに影響を与える要素は非常に複雑だし、
勘違いもあるし、希望的観測が影響を与えるし、
なんかもうとにかく変数すぎるにもほどがあるほど、流動的過ぎ、潜在的過ぎ、姿形が無さ過ぎ。扱いにくいったらありゃしない。
あぁ、だから、そうだね、
「弊社でやりたいことってなんですか?」って聞かれんだね。
ねぇみんなどうなの?そんなにやりたいことあんの?
いまの期間、いろんな人に仕事観とか聞いてたりもするけどさ、
「この仕事も深夜早朝までやることもあるよ。そんな状況でも耐えられるくらいの動機ある?」って聞かれて、ねぇそんなのあるわけなくない???
自分の生活領域が侵されても平気でいられるくらいのモチベがある仕事なんてあるのか?
自分は仮に睡眠時間が削られます、休みの日にも仕事のことを考えなくちゃいけません、
なんて仕事あったら、すぐに顧客、クライアント、お客さんが憎くなって恨むと思うわ。
そこまでしてやりたい仕事なんて、おそらくきっとないのですが。
でもなぜか、みんなうまいこと掻い潜って、折り合いつけて、
我慢して、その仕事やってんでしょ?その能力どこで身につけたんだよ。
もう好きなことを仕事にしたくもないし、
得意なことを仕事にしなくてもいいから、
自分が納得してやれる仕事がしたいよ。
というかもう仕事じゃなくてもいいよ。
自分が納得できる生活がしたいよ。いまのところ全部に納得できない。
不本意に一日が始まってしまう朝、
不本意な結果にしかならない採用結果のメール、
パートナーのことがとても好きなのに、
理想的に喜ばせてあげられないこの不本意な状況、
親の脛をかじるしかない不本意な財政状況。
こんな状況になってるのは自分のせいだけど、
自分だけのせいにするには、厳し過ぎないか?
だって、「これを極めていくんだ!」っていう興味?向上心?好奇心?は、
努力をすれば得られたのか?
「まあ理想的ではないけど、こんなもんでいいか」ってなれるその妥協心は、
努力をすれば培えたのか?
いずれもない自分は、いつのどこの努力が足りなかったんだ?
別に堕落したっていいんだよ、自分が「もう俺なんてしょうがねぇか」って納得できんなら、
必ずしも仕事したい、世の中に認められたい、とか、
もうそんなんじゃない。
別に誰からも褒められないような状態でもいいよ、
自分が「うんうんそれでいいよ」って納得さえしてくれれば。
でも、そうならないんだよ、どうしても。
ほぼほぼ不本意。
活躍してる自分を夢見た数十年後の姿が、
こんなことをほざいているこの現状も不本意。
もう、生きててほぼほぼ不本意。
あーあ、とことんうまくいかねぇな。