絶賛不安定

不安定と一緒に、生きていく

不変

更新してなさすぎて、ログイン状態が解かれていたのは勿論のこと、

ID/パスワードが思い出せず、

もう少しでこのブログが半永久的に残るところだった。

然るべきタイミングでココに散らばっている黒歴史たちは成仏させようと思っているので、もう少しで地縛霊のようにインターネット上に縛られるところだった。

 

最後に更新してから、だいぶ月日が空いた。

 

その間、色んな変化があった。

特にこれよりも前に書いている記事では、

まだまだ何もわかっていない自分が、

とにかく周囲のすべてに対して憤りを感じているし、

そんなにも怒りの矛先にしていた社会に、

僕は住人として生き始めているし、

そうなってからもう少しで3年目を迎えそうである。

 

中学の時から知っている友達や、バイト先でお世話になった友達が

結婚して子供が出来たりしていて、

余りにもピンと来ていなかった「周りが結婚し始めて焦る」という気持ちが

なんとなくわかりはじめている。

(しかも最近は「結婚願望とかあるの?」とかよく聞かれてるし、

その都度、苦笑いしながら「あるよ」とは言ってる。

ただ、自分が誰かと共に生きるなんて現時点まったく想像がつかないのが本音。)

 

まあ、それはそれとして、

なんだか、あんまり喜ばしくない形で大人の階段を上っている感触がある。

 

閑話休題

 

社会の波に揉まれている。

揉まれているというか、飲まれて溺れている。の方が正しい表現かもしれない。

 

学生の時に、なんとなくなあなあにしていたことが、

見事に問題となって顕在化しているような格好だ。

 

コミュニケーションが苦手。

これは社会の住人として、非常に致命的。

割と気の合う仲間、

自分と波長を合わせてくれる仲間と楽しんだ学生時代と比べれば、

いまはほぼ9割くらい、気の合わない人たちと接する。

しかも、ビジネスライクに付き合うでは間に合わない仕事に準じているものだから、

これまた一層困ったものだ。

ふざけて「コミュ障です」みたいなことを言っていたこともあっただろうが、

あながち間違いじゃなかった。残念なことに。

 

正直、

いつしかはじまった「ひねくれ」がここまで尾を引くと思っていなかったし、

こんなにもハンディキャップになるとも思っていなかった。

 

 

次も、これまた残念な新発見。

社会人とにかく時間が無い。

 

このブログを見ての通り、

こんなにも無駄な自分の見解についてあれこれ思いを巡らすことが好きな、

好きなというか、癖である自分をもってして、

そんなことにあてがう時間が無さ過ぎる。

 

0:30くらいに仕事から帰って支度して寝て、

起きたらすぐに仕事へ行って。世の中の大人はすごくよくやっていると思う。

仕事以外のことを考える時間がほんの少しもないというのは、

かなり自分を試されている。

 

よく「今の仕事辞めればいいのに」とか、

「なんで今の仕事を続けているの?」とか聞かれる。

 

好きなのか?

 

いや、もう好きとかいう感情はほぼない。

だって、毎朝本当に仕事に行きたくないと2年間思い続けているから。

 

じゃあその原動力ってなにかというと、

きっと「いまの仕事を断念する(=辞める)というのが悔しいから」みたいなことが

近い回答な気がする。

 

なんで、こんなどうでもいいことに、

そんな感情が芽生えるかなー。。。と自分でも辟易としているが、

多分そういうこと。

 

くじける自分が悔しいというか。

サンクコストを放棄できない人って、

まともな人生にならないらしいということを何かで見かけた。

本当に人生の歩み方が下手だよな~と昔から思う。

 

 

僕がなかなかブログを書き綴れていない間、

自分の周りはものすごくいろいろな変化に富んでいた。

その中で自分だけが、自分の悪いところだけが、

断固として変わらずにいる。

 

なんで君だけ意固地になってまで、変わってくれないんだい?

ここからも引き続き、

自分の変えられない部分を見つめながら首をかしげていく。