絶賛不安定

不安定と一緒に、生きていく

画逸的

このブログを開設した時、
まさか27歳になっても、ここでキーボードを叩くとは思ってもみなかった。

 

「絶賛不安定」。
このブログのタイトルだが、我ながら上手く表現した場所だなと思った。

 

ここへは自分の心が不安定になったときに、訪れることにしている。
「している」というよりも、ここに、つい、顔を出したくなる。の方が正しいか。

 

前回、更新した時からここまでで、何個か周囲に変化があった。

 

まず、

小学生のときから高校まで、ずっと一緒だった友達がついに婚姻届を出した。

 

いつかは来ることだったけど、そうか。。。
ここできたか。。。

 

何様のつもりかは自分でもわからないが、
素直に「すげー」という感情と、
少しだけの複雑な気持ちが入り混じる。

 

ニューヨークで自由の女神、実物を始めて見たときの感情に、
案外、近いかもしれない。

 

へー、これがその!かの有名な!
やっぱりすごいですねー!壮大ですねー!
でも意外とこんなものなんですねー。

。。。

 

 

人はなんのために、結婚するのだろう?
(またはじまった。。。)
(いまだにメタ発言ですか。)

 

でも、本気で分からないかもしれない。
世間的なステータス?さすがにそんな凡なことじゃないんだろうな。

 

今後はきっと、
そのうち子供が出来て、だんだん予定が合わなくなってきて、
そして少しずつ疎遠になってくるのだろうか。

 

「人は型にはまってゆく」。

 

2年ちょっと、社会を経験してみて、
周りの人たちを見て、自分を見て、そう思った。

 

けれど、その「型」というのは、
先代より代々形成されてきたものだけあって、
特段悪いものではなさそう。

 

旅館に行って、
「わざわざあんな寒い外に出て、お湯に浸かるなんて、ただのバカだよ。」
と、いくら壁で囲われた環境で騒いだところで、
露天風呂は気持ちがいい。

 

しかも、その露天風呂だって、
誰でも行けるものではなく、
なかなかに頑張らないとたどり着けない。

 

僕の目には社会がそんな感じで映っている。

 

なら、かくいう自分も、
周りと同じ、ひたすらに頑張って、
露天風呂に浸かり、眼前に広がる富士山を見て、
「あぁ、ごくらく。」なんて言ってればいいのだが、
どこかそれに抵抗感を感じる自分がいる。

 

27年目にして、僕は何を言っているのだろう。
きっと、こんなことを未だに考えている人なんていない。

 

着々と進んでいく周りと、
立ち止まったり、ときに、後退する自分。

 

 

 

かねてより、
ある日、歩道を塞がれたことを挙げて、
「恋人が出来るとバカになるから、歩道を2人横並びで歩いて、かつ、歩行速度が遅くなるので邪魔。」
といっていた。

 

そんな僕にも最近、なぜ歩行速度が遅くなるかがわかってきた。

 

結局、みんなが「楽しい」「嬉しい」「幸せ」と言っていることは、
実際やってみると楽しいし、嬉しいし、幸せなんだ。

 

ここでは、
こんなに社会に一石を投じている(気分になっている)僕も、
結局は、どうにか「型」にはめていくのだろうな。

 

別にいいけど、そんなものなんだな。